エルメスの歴史

1879年、2代目のエミール・シャルル・エルメスが、ブティックを現在のフォーブル・サントノーレ24番地に移転し、以来、当地は世界の憧れとなります。現在でもパリでのコレクションの発表は主としてここで行われていますね。
この頃、第2回パリ万博の馬具部門でグランプリを受賞。
1892年/1923年
1892年、「オータクロア」を発売。後に女優のジェーン・バーキンのリクエストを加え、縦横比を変えて誕生したのが「バーキン」なんですね。
3代目エミール・モーリス・エルメスは、ヨーロッパの王侯貴族を顧客に獲得したあと、サンクト・ペテルブルグまで出向いてロシア皇帝への馬具の売り込みに成功します。これによって、世界を相手にする馬具商としての地位を確立します。
また、アメリカでフォードが車の大量生産を始めると、自動車時代の到来を予見し、1923年には馬具以外に婦人バッグや財布、革小物の製造・販売を開始し、これがエルメスの転換期となります。
1935年、「サック・ア・ロア」という「オータクロア」のハンドバッグタイプを発表。グレース・ケリーが妊娠を隠すために、そのバッグでお腹を抑えた写真が撮影され、以来「ケリーバッグ」と呼ばれるようになったことはあまりにも有名ですね。
1937年、第一号のスカーフを発表、45年より「四輪馬車と従者」の商標が使われ始めました。
その後「ミニケリー」「ミニミニケリー」等、底辺が28cm、32cm、35cm、40cm、と全4種類のケリーが作られることとなります。その他、時計やアクセサリー、香水等にも進出しますが、特にマクロ社によるプリントのスカーフとケリー等のバックで、エルメスはその不動の地位を築き上げました。
1998-1999から2004までマルタン・マルジェラが、レディースプレタポルテのデザインを担当することで、レザー、スエード、カシミヤなどの高級素材を使用高級感を保ちながら、シンプルでゆったりとしたシルエットを醸しだしエレガンスを演出しました。
2002年夏、70年代に非売品として作った機種のデザインを踏襲した時計「パプリカ」を発売しました。

そして、2004-2005からジャン・ポール・ゴルチエがレディースプレタポルテのデザインを担当しています。
高い品質とそれを支える高度な技術と職人気質をもとに、160年を超える伝統を誇る、押しも押されぬ老舗超一流プランドです。
2007年、グローブトロッター(GLOBE-TROTTER)とコラボレートし「フォーブル・エクスプレス」を発表しました。
2007年9月、東京・六本木のミッドタウン内ザ・リッツ・カールトン東京に、世界最小店舗「エルメス檜町公園店」をオープンしました。同店は基本的に予約制で、総合的なコンシェルジュ機能を持っていて総売場面積約40平方メートルという新しいタイプのショップです。
2008年、ヘリコプターメーカーのユーロコプターとコラボレートし、同社の「EC135」をベースとした「ヘリコプター・パー・エルメス」を発表しました。このときエルメスは、内外装のデザインに参加し、デザイナーは G.ペリツィーニが受け持ちました。

2008-2009A/Wには、ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)とコラボレートしたショルダーバッグを、「ヨウジ(Yohji)」というモデルで発売すると発表しました。
2009年、台北に総売場面積が約390平方メートルの旗艦店をオープンしました。
2009年9月、リバティ(LIBERTY)とコラボレートし、スカーフとネクタイの限定コレクションである「エルメス・プール・リバティ」を発表し、エルメスシルクのクリエイティヴ・ディレクターであるバリ・バレ(Bali BARRET)のデザインによるスカーフ等を展開しました。
2011S/Sを最後に、ジャン・ポール・ゴルチエがレディースプレタポルテのアーティスティック・ディレクターを退任しました。
2011-2012A/Wより、クリストフ・ルメール(Christophe LEMAIRE)がレディースプレタポルテのアーティスティック・ディレクターを務めることになりました。
2010年11月19日、パリ6区のセーブル通りに、総売場面積が約1400平方メートルのパリ3店舗目をオープンしました。